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Posted on 25/9月/2018(火)

どこまでも教主様と一つ心に

どこまでも教主様と一つ心に

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平成30 年9 月25 日

信徒・専従者 各位

世界救世教主之光教団
理事長 成井 圭市郎
いづのめ教区代表 白澤 道夫

どこまでも教主様と一つ心に
― 明主様の「世界救世(メシヤ)教」開教のみ心を求めて ―

明主様は、戦後、日本国憲法の施行により信教の自由が保障されるや否や、すぐに宗教法人「日本観音教団」を1947年に立ち上げられました。その1年後の1948年には、「日本観音教団」と並び「日本五六七教」も創立されました。そして1950年立春、この二つの組織を発展的に解散させ、明主様は、新たに「世界救世(メシヤ)教」を開教されました。

その後明主様は、ご昇天になる1955年まで、ご自身の教団を世界メシヤ教という名前としてご神業をお進めになりました。明主様は、宗教を表に出しながら活動を推進していくこと、そして、世界メシヤ教の名前をもって歩むことを何より大切にされました。世界メシヤ教開教のご事蹟は、明主様のご生涯の中で、最晩年の「メシヤとして新しく生まれる」ご事蹟と並び、最も大切なものであるといっても過言ではありません。

そのメシヤ教開教時の1950年、明主様は、ご神業の進む方向性につき、はっきりと私たちに訴えてくださっております。

明主様は、「世界メシヤ教の世界的な意義は」との信徒からの質問に対し、「信仰によって世界全人類を幸福にみちびくのがその最大の目標です。しかし西洋にはキリスト教があります。そのキリストの曰く「天国近づけり……」はわが教理と最も近きにあり、わが教理は「現世の天国」を一日も早くつくることにある、キリストの遺訓まことに立派で、やはり世界人類救済の神力や偉大です、私はわが新教はこのキリスト教と呼応し、東洋において、わけてもまず日本で、人類の善導と救済に全智全能をあげて働いてゆきたい」(『天国の礎』宗教・上, p.331)とお答えになりました。

また、「世界平和が宗教の力で実現可能ですか」との信徒からの問いに対しても、明主様は、「絶対可能と信じている。前にも述べた通り、西洋にキリストあり、東洋にメシヤあり、この二大勢力が東西相呼応して平和のために全信徒が、真面目に闘ってゆくなら必ず永遠の平和が齎(もたら)されるものと思う」(『天国の礎』社会・救世自然農法, p. 317)とのお言葉を残されました。

そして明主様は、「メシヤ(救世主)はイエス・キリストにも冠されているが、それとはどんな関係がありますか」との信徒からのお伺いに対し、「西洋では一応キリストをメシヤと称しているが、まだしっかりした定義のもとに言っているわけではない。救世主といっても、真にその目的を達成したものはない。二十世紀前半までその実力を顕現するまでにはゆかなかったかもしれないが、もし、いよいよ、これからが神の実力が発現される時期に入ってきたといえる。西洋においてはキリストもさぞや本来の実力を発揮されることと思う。しかして東洋においてはメシヤがほんとうに御神力を発現されることと確信する。だから
従来のような宗教的観念ではとうてい理解できない」(『天国の礎』社会・救世自然農法, p. 315)とお述べになり、キリストが西洋においてますます力を発揮されるであろうことを示唆してくださっております。

さらに明主様は、明主様の高弟のお一人であった中島一斎先生のご帰幽にあたり、「これからは世の中に変わり事があろうと思う。いまは観音様のお働きはできない。祝詞にも、応身弥勒と化し、メシヤとならせと入れた。観音様はメシヤとならせられ、観音様のお働きはメシヤになる。観音様は東洋的であり、世界的のものではない。世界人類の救済からゆくと、メシヤ教はよほどキリスト教に近くなる。いずれはそうなるべきだが、ようやく時期が来たのである」(『岡田茂吉全集』講話篇第三巻, p. 346)とお話しになりました。

これらの明主様の御教えは、いずれも、明主様が、特にキリスト教と共にご神業を進めていくお気持ちであること、ご自分とイエス・キリストのご神格が同等のものであること、明主様のご教団とそこでの教えや活動は、キリスト教のものに近づいていくこと、そして、世界メシヤ教開教により、ついにその時期が到来したことをお示しになったものであり、これらの御教えは、明主様の信徒である私どもにとって、極めて重大かつ心に深く刻みこまなければならないものであります。

しかしながら、上記の御教えにある、世界メシヤ教開教に込められた明主様のみ心はその後教団の中では忘れ去られ、継承されずに今日まで来てしまったことは、否定できない事実であります。

世界メシヤ教という教団名は、明主様ご昇天後、世界救世(きゅうせい)教に改名され、明主様が「メシヤ会館」と名付けた建物も同じく、「救世会館」の名前に変更されました。さらには、今まで私どもは、長きに亘り、「明主様だけがメシヤである」とし、明主様の御教えに反し、イエス・キリストの存在を否定するかのような歩みをしてきたことにつき、明主様に対し、心からお詫び申し上げるほかありません。

しかし明主様は、このような私どもを決して見放されず、今再び、世界メシヤ教開教時に明主様が願っておられた道へと私どもを導いてくださっております。「教主の座」を通して導いてくださっております。

昨年9月、東方之光・MOAによる、教主様ご夫妻への「尾行・盗聴・盗撮」が明らかになりました。そして今、世界救世教責任役員会を自称する方々や、いづのめ教団小林執行部は、教主様ご家族間のメール等を調べ上げていることも分かってまいりました。なんという卑劣な方々なのでしょうか。彼らは、これらの恥ずべき行為をいつまで続けるつもりなのでしょうか。

その卑劣な行為の結果、彼らは、教主様・まゆみ奥様・真明様が、あるキリスト教の新興宗教に所属し、洗脳を受け、活動をしていたと結論付け、さかんに宣伝をしているようであります。

私どもからこの件につき教主様にお伺いしたところ、「当然のことながら、そのような事実はありません。悪意をもって解釈をすると、そのような結論に達してしまうのだと驚いております。以前に皆様にもお伝えしたように、私は、大学時代からの友人との関係で、明主様のみ心を求めていく中で、キリスト教の学び、聖書の学びをしてまいりましたし、今もその友人とはお会いしています。その友人の勧めもあり、イエス・キリストの学び、聖書の学びの集いのような場にも行かせていただきました。もちろん、その勉強会、集いは、宗教法人を有している団体でもありませんし、すでに10年以上も前に、集う人数の減少に伴い自然消滅をしたものであります。もちろん、参加者にはその場での名前が与えられるなど、その集いの場での慣例やしきたりがあり、それに従っていたのは言うまでもありません。イエスや聖書のことを学ぶのは、私が明主様のみ心を求めていく中で大切なものであると感じたこともあり、妻や真明にもその場での学びを共有してまいりましたし、二人も、私と同じように感じていると思っております。そこでの学びを通して私は、神様が、明主様を通してお伝えになりたかったことと、イエス・キリストを通してお伝えになりたかったことは、基本的に同じことなのではないか、と思うに至りました。そして、明主様の世界メシヤ教開教の精神を思いますと、明主様も同じようにお感じになられていたのではないかと思わされております。ですから、私は、イエスや聖書のことをそのような集いや友人から学び、それを明主様の御教えにあてはめ、大切だと思うことを、明主様にお伺いし、明主様のお許しをいただきながら、今までも皆様にお伝えしてまいりましたし、今後もそのようにさせていただくつもりであります。振り返ってみますと、大学時代にそのような出会いを許され、私やまた真明も、イエス・キリストや聖書の学びをさせられてきたのも、明主様が、世界メシヤ教開教時のみ心を、再び私ども信徒に思い出させてくださろうとして、明主様がお導きくださっているのではないか、と思わせていただいております。今後も、万教帰一と仰せになった明主様のみ心を求めていく中で、また、明主様に導かれる中で、必要があれば、時間の許す限り、他のあらゆる宗教のことも積極的に学んでまいりたいと願っております」と詳しく、お話しくださいました。

本来であれば、個人的研鑽をされていることにつき、このようなご説明をする必要すらないものと私どもは思っておりますが、このように丁寧にお答えくださった教主様に心より感謝申し上げます。ましてや、宗教家である教主様が、他の宗教、特に、明主様が呼応して働くとまで仰ったイエス・キリストのことにつき個人的お時間の中で学ばれることに一体全体なんの問題があるのでしょうか。まったくありません。むしろ、個人的時間をただの趣味等に費やされず、そのようにどこまでも真摯に他宗教の学びをしてくださっていることは私どもにとってありがたい以外の何物でもなく、そのご努力に頭が下がることはあれ、批判をすることなどもってのほかです。

聞き及んでいるところによりますと、自称管長の長澤好之氏と、自称・いづのめ教団理事長の小林昌義氏は、教主様の個人的研鑽やご家族同士のメールを調べ上げ、その情報をもとに、「10月8日の秋季大祭には出席するな」という脅しともとれる趣旨の文書を、教主様に送っているようであります。

自称・世界救世教責任役員会や東方之光・ⅯOAは、もしこの教主様の個人的研鑽が「統合医療」「代替医療」に関わることであったとしたら、どのような態度をとっているのでしょうか。必ずや、「これは明主様のご経綸だ。教主様は素晴らしい学びをしてこられた」と言っているに違いありません。教主様が、「統合医療」に関わる「スピリチュアリティ」等の言葉をお使いになっていたら、それらの言葉は御教えには一切ないにもかかわらず、教主様のお言葉を喜んで受け入れているに違いありません。このように、なぜ「統合医療」の学びをするのは問題がなく、イエス・キリストや聖書の学びだと問題があるのでしょうか。ここにも、彼らの大いなる矛盾があります。明主様のみ心を求める中で、キリスト教や聖書を学ぶことはそこまで悪いことなのでしょうか。イエスや聖書は悪なのでしょうか。

そもそも、「尾行・盗聴・盗撮」という行為や、教主様ご家族同士のメールのやり取り等を調べ上げていること自体、明主様の信徒としてふさわしくない行為どころか、信仰者であると思うことすら難しいと言わざるを得ません。

私どもは、教主様・真明様が、イエス・キリストや聖書の学びをされていることは、明主様のご経綸であると信じます。明主様が、世界メシヤ教開教のみ心をなんとしても実現されたい、という思いを持たれ、教主様・真明様をそのように導かれたと信じます。また私どもは、「教主の座」に明主様が働かれると、心底信じます。「教主の座」を信じられなくして、どうして明主様の信徒と言えるのでしょうか。

メシヤ教はキリスト教と呼応する、メシヤ教はよほどキリスト教に近くなる。この明主様の世界メシヤ教開教時の精神が、今、教主様・真明様により、実現されようとしているのです。明主様の願われた、本当の意味での万教帰一のみ業がこれから始まろうとしているのです。

このような歴史的大転換期に生かされていること、そしてそのような壮大な明主様のご神業に、教主様を先頭にお仕えさせていただけることは、信仰者として、また一人の人間としても最高の幸せであると思います。

今こそ私どもも、今までの歩みを悔い改め、明主様のみ心をどこまでも求められる教主様と共に、明るく、楽しく、歩んでいこうではありませんか。

来たる秋季大祭におきましても、明主様の世界メシヤ教開教のみ心が、これからいよいよ成し遂げられていく、という大いなる希望をもってご参拝させていただきましょう。

以  上