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Posted on 19/10月/2019(土)

2019.10.14 秋季大祭 真明様ご挨拶

2019.10.14 秋季大祭 真明様ご挨拶

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於:リーガロイヤルホテル大阪(光琳の間)

 

皆様、おめでとうございます。
 ただいまのビデオの中で、「迫害」ということがありましたけれども、今日ここに集(つど)っていらっしゃる皆様は、この度の教団の流れの中で、大きい小さいは別として、何かしらの迫害を受けられたと思います。
 長年使ってこられた教会や拠点を追い出されたり、使うことができなくなった方もたくさんいらっしゃると思います。あるいは、ずっと親しく共に信仰を続けてきた仲間から、いわれのない非難を受けたり、誹謗(ひぼう)中傷をされた方もいらっしゃると思います。
 専従者の方は、教団の言うことを聞かなければ、自分がそれまで託されてきたお役目とは全然関係のない職場に異動させられたり、給与をカットされたり、あるいは、解雇された専従者の方もたくさんいらっしゃいます。信徒籍を剥奪(はくだつ)された方もいらっしゃいます。
 もっと大きく言えば、主之光教団そのものは、世界救世教の憲法とも言える教規に、教主様は明主様の聖業を継承されるお方である、と明確に定められているがゆえに、その精神に基づいて「教主様のお姿とお言葉に倣(なら)う」という教団方針を掲(かか)げておられましたけれども、一部の世界救世教の方々が、不可解なことに、その教団方針は世界救世教とは相いれないものであると騒ぎ立て、現在その方々により、主之光教団を世界救世教から追放したと、一方的に言われております。
 教主様も、ありとあらゆる迫害を受けられました。週刊誌にいろいろ書き立てられたり、人格を否定されるような文書も出されました。そして、挙句(あげく)の果てには、言葉に出すのもはばかられる行為、明主様の本当の信徒であれば絶対に行わない行為、つまり、教主様のプライベートな時間までも付け回して、それを隠し撮りする方々もいました。
 明主様ご自身も、その宗教人生は迫害の連続でありました。特に世界救世(メシヤ)教を開教されてからは、すぐ、皆様もご存じのように、ご法難ということで静岡の留置所に入()れられまして、そこでも激しい尋問(じんもん)を受けられた。そして明主様は、小さな週刊誌とかではなくて、それこそ朝日新聞とか読売新聞とか、そういう大新聞、大メディアからも、さまざまな攻撃をお受けになりました。
 そのように、私たちは皆、一様(いちよう)に、なにかしらの迫害を受けたと思います。
 しかし、私は思います。自分たちの信じることを貫いて迫害を受けることの、何が恥なのかと。
 むしろ私は、この度の一連の教団の流れの中で、自分たちの考え方とは相いれないからとか、自分たちの言うことを聞かないからといって、人を誹謗中傷したり、人のことを隠れて撮影したりと、そのようなことに神様から使われなかったことに、私は神様に感謝したいと思います。
 もちろん、そのような行為を実行された方は、何か必要があって、神様がその御用にお使いになったことは間違いがない。私たちも、いつどのように神様から使われるかは分かりませんけれども、しかし、私たちは、できれば、周りの人が幸せになって喜ぶような、そういう御用に使われたいと願っていると思います。
 ですから、私は、この度のさまざまな教団の動きの中で、私たちが、その一部の方たちのように、自分たちに負い目が残るような行為をさせられず、むしろ、自分たちの信仰を貫いて、正々堂々、まっすぐ歩めたということは、本当に、神様に感謝すべきことであると思っております。
 ではなぜ私たちは迫害されるのかというと、それは今も言いましたように、自分の信念を貫くから、自分の信仰を貫くからだと思います。と同時に、この度のことで言えば、教主様と共に歩みたい、明主様のみ心を求めていらっしゃる教主様と共に歩みたい、ということで、私たちは迫害されたと思います。
 では、その教主様は何をお説きになっているのかと。それは、私も度々申しておりますように、明主様の信徒である私たちが、教祖である明主様に倣いたいのか、倣いたくないのか。明主様を模範としたいのか、したくないのか。この一点に尽きると思います。教主様は、この一点のみを私たちに問うてきておられると思います。
 では、その明主様のご生涯の結末、宗教人生の結末、集大成はなんなのかと。それが、「メシヤとして新しく生まれる」ということでありました。これは架空のことではなく、現実に起きた、紛(まぎ)れもない事実です。
 もし私たちが、教主様のご教導をお受けして、明主様を私たちの模範とさせていただくならば、私たち一人ひとりも、「メシヤとして新しく生まれる」という使命を持たされる、ということになりますね。
 そうなれば、私たちは、もはやただの人間ではないんだと。私たちの中にはメシヤの魂があって、それを認めなければならない。私たちの中には、神様の魂、神様の燦然(さんぜん)と輝く光があるということを認めなくてはなりません。
 明主様は迫害ということについて、迫害をする人が一番恐ろしいのは、光だとおっしゃっています。もし私たち一人ひとりが、私たちの中にあるメシヤの光を認めるならば、そして明主様は、「メシヤというのは世界中で最高の位」なんだと、「キングオブキングス」なんだと、「王の王」なんだとおっしゃっていますけれども、それは、自分の中に、そのような、恐ろしくもあり、また、最高の権威を持った存在があることを認めなくてはならなくなります。
 これが、私たちにとって都合が悪いのだと思います。なぜならば、私たちは、今までずっと、自分にとって都合の良いように生きてきました。自分の願い、都合を優先したい、自分が主導権を持って生きていきたい。このように生きてきたと思います。
 しかし、もし私たちの中に、私たちよりももっと大きな権威を持った方がいらっしゃるとなれば、今まで私たちがしてきたように、自分たちの思い、願いを優先した生き方で歩むことはできなくなります。
 だからこそ、今回の教団のさまざまな動きの中で、「私たち一人ひとりの中にメシヤの光があるんだ」とお説きになっている教主様のご存在が、どうしても疎(うと)ましい、邪魔だ、そのメッセージが出続けては困る、ということで、教主様は攻撃された。
 それを認めれば、人間主導の生き方はもはややっていけなくなるということで、教主様を攻撃しなければならない。自分たちの身を守るために教主様を攻撃しなければならない、となったと思います。そしてその教主様のメッセージを信じられた皆様も攻撃しなければならないと。メシヤの光が出ては都合が悪いから、攻撃せざるを得ないわけです。
 また、私たち自身も、明主様に対して迫害のようなことをしてはいないと思うかもしれないけれども、明主様が、ご自身の宗教団体に、世界救世(メシヤ)教という名前を付けて、メシヤ会館という名前を遺(のこ)されて、メシヤとして新しく生まれるということも遺されていたけれども、私たちはそのことを、何十年間も、事実上、抹殺してきたのではないのかなと思います。
 迫害をする目的は、ある人々の存在を抹殺して、いなくならせて、そして、あるメッセージを信じる方たちの心をなくしてしまいたいということだと思います。
 では、迫害を受けるからといって、私たち一人ひとりの中に神様の光がある、というメッセージが消え去るのだろうかと。人間が攻撃したからといって、神様のメッセージが消え去るのだろうかというと、私はそうは思いません。
 イエスは、二千年前、ユダヤの人々の中でお生まれになりました。ユダヤの方々は、その前から、何千年も、メシヤという存在を待ち望んでいた。そして、あらゆる預言は、イエスという存在が、その待望のメシヤであることを指し示していたにもかかわらず、いざ、イエスがメシヤの御名と共に地上に現れたら、ユダヤ教の人々は、イエスの存在を受け入れず、疎(うと)んで、そして攻撃をしました。
 それはなぜかというと、ユダヤの人たちは、モーセの時以来、神様が遺してくださった教えがあって、それをずっと守ってきているつもりだった。ちゃんと神様にお参りしなさい、とか、神様にちゃんと献金しなさいとか、そういうさまざまなことがありました。そして、それを守ることが神様の御心なんだと、自分たちはこれをしっかり実行しているんだというふうにしていた。
 ところが、イエスは、誰もが悔い改めなければいけないんだと。全人類漏れなく罪ありなんだと。どんなに一生懸命お参りをしても、私たちの心が神様のほうを向いているのか、向いていないじゃないかと。献金する心はどうなんだ、本当に神様のことを思っているのか、思っていないじゃないかと。完全な人間などいないじゃないかということで、イエスが、その絶対的権威を持っているメシヤの御名と共に現れた。
 その時、やはり、どんなに預言があったとしても、ユダヤの人々は、地上に現れたメシヤの御名を受け入れることができなかった。そして最終的には、十字架に架けて、殺したと。そしてイエスを信じる多くの弟子たちも大変な迫害に遭()いました。
 そこには、神様の深い御意図がおありだとは思いますけれども、ではそれで、地上に到達したそのメシヤの光が途絶えたのかと。確かに、一見途絶えたかのようになりましたね、二千年の間。だけれども、時至って、日本に再び、神様がどうしてもご自分の御心を成し遂げたいと思われて、明主様を用意されて、そして最終的に、人間はメシヤとして新しく生まれることができる、というひな形を遺されました。
 しかし、その明主様がお伝えくださったメシヤの光のメッセージでさえも、私たちは、私たちの手で抹殺しかけていた。しかけていたけれども明主様は、どうしてもこれは大切なんだと。ご自分の愛する信徒に、ご自分の心をどうしても伝えたいと思われて、今、教主様を通して、あなた方一人ひとりの中に光があるじゃないかと、メシヤの光があるじゃないかということを伝えてくださっていますし、それを信じる皆様方がいらっしゃる。
 ですから、どんなに迫害をしようとも、もしこのメッセージが神様の御心であるならば、それは絶対に消し去ることはできないと思います。なぜならば、人間で神様を消し去ることはできないからです。
 明主様は、大宗教であればあるほど、大きければ大きいほど迫害もまた大きいとおっしゃっています。
 二千年前、イエスは、メシヤの御名を携(たずさ)えてこの地上に来ました。そして迫害されて、殺されましたけれども、それから二千年経った今、世界中に20億の信徒がいます。
 キリスト教徒は、イエス一人だけがメシヤだと思っていますけれども、それでも20億の信徒がいます。私たちは、この尊いメシヤの光というのは、イエスだけではなく、明主様だけではなく、全人類誰もが、一人ひとりの中に賜っているんだと、それをお受けし、信じている。
 そう考えますと、今、教主様と共に歩んでいる私たちの使命は一体どれほど大きなものなのだろうかと。キリスト教徒20億の比ではないと思います。だから迫害されるのも当然のことだと思います。大きいから、大宗教になる存在だから、迫害されるのです。
 今、人類70億のうち20億のキリスト教徒がいます。そして日本においては、キリスト教徒でなくても、「クリスマス」ということなどで、「キリスト」という存在を知っていますね。全人類、何らかの形でこの「キリスト」という名前を知るに至ってますね、今。
 「キリスト」といっても、それは、ヘブライ語の「メシヤ」のギリシャ語訳が「キリスト」ですから、言霊(ことたま)の差はあってもそれは同じことです。
 「キリスト」という言葉はすでに全人類に行き渡っているわけです。土台はある。だけどその言葉の真(しん)の意味、「メシヤ」という言葉の真の意味について、まだほとんど知らない。しかし私たちは、先駆けてその福音を知らされましたね、今。
 だから、その真(しん)の意味を伝える使命が私たちにはあると。これが、明主様のおっしゃる本当の万教帰一への道であり、人類救済であり、地上天国建設であると思います。
 今のビデオにありましたけれども、「世界平和が宗教の力で実現可能ですか?」との問いに対して明主様は、「絶対可能と信じている」と。「西洋にキリストあり、東洋にメシヤあり」と。この二大勢力が東西相呼応して、全信徒が真面目にたたかっていくならば、必ずや永遠の平和がもたらされるものと思うと、そう明主様はお述べになりました。
 教主様は、この明主様の御言葉、み心を信じられたと思います。
 私は、その教主様を信じております。
 ありがとうございました。

 

印刷用PDF:20191014_秋季大祭_真明様ご挨拶