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Posted on 27/12月/2019(金)

2019.12.23 御生誕祭 教主様お言葉

2019.12.23 御生誕祭 教主様お言葉

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於:ツインメッセ静岡 南館

 

皆様、本日は御生誕祭おめでとうございます。
 誠に畏れ多いことではありますが、創造の主(しゅ)なる唯一の神・主神のみ旨は、私ども全人類をメシヤという唯一の御名に結び、ご自身の子として迎え入れ、共にお住みになることであります。
 明主様は、このみ旨にお応えになり、主神の子たるメシヤとして新しくお生まれになりました。
 私は、明主様がメシヤとして新しく生まれ、永遠に生きるものとなるために、この地上にお生まれになった今日の日を、皆様と共にお祝い申し上げることができますことを、大変嬉しく思っております。
 と同時に、明主様を全人類の模範として、この地上にお遣わしになり、真(まこと)の救いの手を差し伸べてくださった主神に対し、心から感謝申し上げたいと思います。

さて、本日の御生誕祭の吉き日に、皆様にお知らせがございます。
 昨日12月22日、私は、成井理事長より、世界救世教主之光教団理事会の意向として、全人類を真(まこと)の救いに導こうとされる明主様のみ心にお応えするために、来年2月4日の立春を期して、教団の法人名は「世界救世教主之光教団」としたままで、宗教活動を「世界救世教主之光教団」ではなく、「世界メシア教」の名によって進めていかれたい旨のお申し出をお受けいたしました。
 そのお申し出を私は、明主様にご奉告申し上げ、このお名前を使わせていただくお許しをいただいて、承認させていただきました。
 奇しくも、来年2月4日の立春は、明主様が「世界救世(メシヤ)教」の開教を宣言されてより、丁度70年目の立春に当たります。
 私は、この節目の立春を期して、皆様と共に、ようやく明主様のみ心に真にお応えするための本格的なスタートを切ることができますことを、大変嬉しく思っております。
 主神は、私どもの魂の親である神をないがしろにしていた私どもを赦し、その頑(かたく)なな心を開いてくださり、私どもの中に、メシヤという唯一の御名の教会を打ち建ててくださいました。
 そして、私どもを、その唯一の教会に結ばれた、み手足の教会として用いてくださり、真(まこと)の救いを成し遂げるために、私ども一人ひとりの心と思いをお使いくださっています。
 私は、私どもを今日まで忍耐強く見守り、育て、導いてくださり、「世界メシア教」の名をもって活動を開始することを許してくださった主神と、主神と共におられる明主様に対し、皆様と共に感謝申し上げたいと思います。

明主様は、今から137年前の明治15(1882)年に、私どもと同じように、ご肉体をもって地上にお生まれになり、様々な試練と悩み苦しみの日々を送られました。
 そうした中で、明主様は信仰に目覚められ、ご自身の中で生きて、働いておられる神という存在を全面的に信頼されるとともに、その神に仕える立場であるという認識に至られました。
 そして、霊界の夜昼転換という啓示を受けられ、神をないがしろにしていた人類の罪が赦されているという、大いなる恵みに確信を持たれ、その恵みを多くの人々と分かち合うべく、一宗教を立ち上げられました。
 当時、ご自身と観世音菩薩との密接な関係をお感じになっていた明主様は、昭和10(1935)年に「大日本観音会」を発会されました。
 その後、度重なる弾圧や、幾多の変遷と推移を経て、明主様は、昭和25(1950)年2月4日の立春を期して、「世界救世(メシヤ)教」を開教されました。
 この時の「開教の辞 世界救世(メシヤ)教の誕生について」の中で、明主様は、「これは、非常に重大な意義があり、もちろん神の深き御旨によるのであって、人間の意図ではないことはいまさら言うまでもない」「昼の文化の建設が開始さるるのである。このごとき空前絶後の一大転機とは、何を指すのであろうか、まったく何千年否(いな)何万年以前より決定していた神のプログラムなのである」「神の恩恵は、一人でも多く滅ぶるものを救わせ給わんとして、神の代行者を選び救世(きゅうせい)の大業を行わせ給うのである。またその使命達成の機関として運用されるのが本教であるから、本教の使命たるや実に大なりというべきである」「これまでは観世音菩薩のお働きであったから、いわば東洋的であった。しかるに時期切迫のためどうしても一大飛躍によって全人類を救わなければならない、とすれば世界的に拡充する必要がある、世界救世(メシヤ)教の名による所以(ゆえん)である」そして最後に、「救いの力も決定的でなくてはならない、その力こそメシヤの揮(ふる)わせらるる大神力である。嗚呼(ああ)、慶賀すべき時とはなったのである」と述べておられます。
 この「開教の辞」を通して、私は、世界救世(メシヤ)教開教に至った喜びと共に、メシヤの御名による力あるみ業によって、全人類に必ず救いをもたらすという、明主様の並々ならぬご決意を感じざるを得ません。
 と同時に、その明主様のみ心は、恵みという権威をお持ちであられる主神の思いであると思います。
 メシヤという御名は、主神が恵みという権威をもって全人類に対する救いを成し遂げるために、最も大切な御名であるからこそ、明主様は、その尊い唯一の御名にある救いを信じ、その御名を大切にされたのではないでしょうか。

ところで、全人類に対する救いとは、一体どのような救いなのでしょうか。
 明主様は、世界救世(メシヤ)教としてのご神業をお進めになる中で、ご昇天の前の年の昭和29年、脳溢血という重い病のさなかにあって、ご自身が「生まれ変わる」のではなく、「新しく生まれる」と仰せになると同時に、「メシヤが生まれた」と仰せになりました。
 私どもにとって、真(まこと)の命の親が主神であることを知ることができ、その方を神様とお呼びすることが許されていること、このことが救いであると思います。
 それだけでなく、私どもは、神様の子供として新しく生まれさせていただけるのです。そして、神様が私どもと共に住んでくださるのです。
 これ以上の救いがあるでしょうか。
 しかも、明主様は、ご昇天になってから、天国に上(のぼ)られたのではありません。ご昇天になってから、メシヤとして新しくお生まれになったのではありません。
 目に見えるご肉体をお持ちのまま、天国に上られ、新しくお生まれになったのです。そして、永遠に生きるものとなられたのです。
 主神は、明主様だけをメシヤとして新しく生まれさせるために、地上にお遣わしになったのでしょうか。決してそうではありません。
 全人類の模範として、私どもが明主様に倣うものとなるように、お遣わしくださったのです。
 明主様が私どもの模範であられるということは、明主様を自分とは別の所におられる方、また、過去の方と思って、模範とさせていただくことではありません。
 模範とさせていただくということは、新しくお生まれになった明主様が自分の中におられることを認めることです。そして、明主様に倣うものとなるように養い育てられていることを認めることです。

また、今日まで、ご神前にて拝礼させていただく明主様のお写真を「御尊影」と申し上げてまいりましたが、この度、「御神影(ごしんえい)」とお呼び申し上げることといたしました。
 私どもが明主様に対して拝礼させていただくのは、明主様を神格化するためではありません。明主様のお写真を掲げさせていただくのは、明主様を偶像崇拝の対象とするためではありません。
 明主様の主人公も私どもの主人公も、主神であられます。
 御神影とお呼び申し上げるのは、明主様の中に神の子たるメシヤの御霊(みたま)の輝きがあり、そのメシヤの御霊は主神の御霊であるからです。明主様の中に主神の御霊が輝いているからです。
 創造の主なる神は唯一の神であられます。唯一の存在であるということは、目に見えない世界の神であると同時に、目に見える世界の神でもあられます。
 霊にあっても肉にあっても、主神は、私どもの中で生きておられます。私どものすべてを掌握し、治めておられます。
 明主様の中におられる主神は、私どもの中におられる主神です。主神は唯一の存在であるからです。
 明主様に拝礼させていただくということは、明主様の中におられる主神に拝礼させていただくことであり、それはまた、私どもの中におられる主神に拝礼させていただくことであります。
 だからこそ、明主様のお写真に対し、御神影と申し上げて拝礼することを許してくださったのだと思います。
 明主様の中に主神の永遠の命があるように、私どもの中にも主神の永遠の命があるのです。
 私どもは、人間の寿命という観念に囚(とら)われて生きてまいりました。
 命と言えば、肉体の命のこととしか思っておりませんでした。
 目に見える息が絶(た)えることが、命が絶えることと思いこんでおりました。
 明主様は、ご自身が新しくお生まれになり、永遠に生きるものになられたことによって、私どもを死というものから救い出してくださったのではないでしょうか。
 明主様は今、私ども一人ひとりに対し、滅びゆく命に生きるのか、永遠の命に生きるのか問いかけてくださっています。肉の命に生きるのか、霊の命に生きるのかを問いかけてくださっています。
   私どもは、明主様に対し、〝永遠の命に生きるものにならせていただきます〟とお返事させていただきましょう。

終わりに、70年の時を経て、世界メシア教を名乗ることをお許しくださった主神と明主様に心から感謝申し上げますとともに、まもなく迎える新しい年が、皆様にとりまして、希望と安らぎに満ち、力強く前進させていただける一年でありますようお祈りいたしております。

ありがとうございました。

 

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